ツアーファイナル

5周年ツアーが今日で終わるよ~寂しい~!

ここ数ヵ月は現実と向き合うのやめて全力でヲタしてきたからなー終わってほしくないー!

終わったら私のえび担人生クールダウン期間になるんだよ??信じられる??嘘でしょ??

転職考えて結婚考えて新居探したり挨拶したり式はどうする子供はどうするとか考えるんだよ、なんか嘘みたい。
現実って辛いじゃないですか、こないだデスミュ見てどんな人間でもやっぱり死ぬんだしなって考えちゃったし。

でもこのままゆっくり衰退していくであろう会社にずっといたくはないし、そのためにどういう仕事就くのかまず考えなきゃいけなくて、それに加えて結婚でしょ?は?

そもそも好きすぎて病むという、この歳で痛すぎる現実を捨てたいからなー。ふぉゆはいい、基本がゆるいから。

寂しいーー好きだーーでも現実も大切にしないときっと後悔するから、それはそれでやらないとなーはーやだなーー

とりあえず帰ったら物を捨てよう。いっぱい。えびの物も整理しよう。

自分で選んだとはいえしんどいっす!!!

何度目かの

やっぱりダメだ
もっと外に目を向けよう
私には永遠になにもない
求めるのはやめよう
さようならの準備をしていかなければいけない

君は悪くない
君は全く悪くない

周りが特別な言葉をもらっているのに
私は1つももらえない
目の前でもらってるのに
君は何か考えているわけではないから
君を責められないから
私がおもしろくないから
ただそれだけだ
私の語彙力がないから
つまらないから
だから君の気分がのらないんだろうし
わたしなんていらないファンなんだな
そんなこと考えていないけど
まぁそんな風に考えたくもなるんだ
自意識過剰なことぐらい分かってるよ?
でも同じ言葉を話しても
何も反応されない切なさ
すごいんだよ
すごく悲しいんだよ
終わったあと期待していた自分が醜いし
誰かに嫉妬してる自分も大嫌い
毎回自分のこと本当に大嫌いになる

だからこの頃君を応援していても
辛いことのが多くなってきたんだ

舞台を見ていても
この舞台が素晴らしいかわからなくなったりする
でも頑張ってる君を見ていると元気が出るし
感動もするから心から拍手を送っていた

コンサートでは精神的なものだったりで
たまに感情が上下してしまって
魅せるということにおいては
元担が素晴らしかったからストレスは溜まる

そんなことばかりグルグル考えていたら
ついにこないだの横アリで疲れてしまった
一言でも違う言葉をもらえたら
明日も元気に過ごせたのに

絶対に責めないからね
ありがとうね
だいすきだった
だから辛かった

来年からのことはみんなに任せるよ
私は船を降りても
きっと乗組員は増えるから
大丈夫
君たちはきっと売れる

5周年おめでとう
これからもがんばってね
もし大きい会場でやることになったら
久しぶりに見に行けたらいいな

ありがとう
だいすき
さようなら

0426夜 Defiled

皆様が口々にすごいすごいと言っていたこの公演。

わたしはピンとこなかった。原因は明確で、今日が前列での初見だったから。ブライアンとハリーを交互に見なくてはいけなくて、全体を把握できなかったため、会話を聞いている相手の表情が追えなかったのだ。とてもとても残念だ……。

―――――

そんな悲しみに暮れてばかりではこれからの観劇が楽しくなくなるので、その中でも記憶に残っていることを記しておく。

ハリーが青いカップを乱暴によけた瞬間の空気感。
(復活の意味を持つそのカップですら倒してしまうのだ……)ブライアンがハリーに拳銃を向けたときの絶望感を滲ませた顔。ブライアンから奪い取った拳銃の引き金に、決して指を入れなかったこと。そして、出てけよとブライアンに言ったときのハリーの表情や声色、すべて。

ハリーの目から狂気と悲しみと怒りと安堵と沢山の感情を知った。静かに狂気を表現するのもすっと目から色が消えていくのも、全てが印象的だった。

ほんと目ばかりみていたなぁ。目がね。すごくて。
ギリギリのところで生きてるような目。

あと、姉に電話するところの印象が変わった。決意して電話したんだろうなぁ。なのに、すっと手を離されていく。メリンダとの会話後もそうなんだけど、みんなすっと手を離していくのが辛くて。変わらずに生きているハリーと、変わっていくものたち。ハリーは真っ直ぐに自分の信念を曲げずに、曲げられずに生き続けていた。


そしてブライアンには出てけよ、と自ら手を離すんだ。それまで狂っていた目を、はっきりと潤ませながら。

アヴェマリアとか、考えだしたらきりがない。イタリアのこととか、宗教のこととか。

でもきっとDefiledで思い出す光景は、あのハリーの目なのかもしれない。静と動、そしてあのじめっとした空気感。それでいいのかな、分からないけれど。

―――――

昔『虹とマーブル』を観に行ったとき、小出くんの目がだんだんと死んでいく、色が消える、というの姿が未だに忘れられないし、あれでこの人すごいわって思えたので、戸塚くんのことも後々あれすごかったなーーって記憶に残りそうで嬉しい!ちなみにこの作品で小出くんも最後打たれて死ぬ!

それはそれは神聖な

初日観劇してきました。

原作ノータッチだったので、とにかく話を理解するために、インプットスイッチフルだったのでひさびさに疲弊。でもそれはそれで楽しかった。

ちょうど直前に映画『はじまりへの旅』を観ていたため、《普通とはなにか》について思い巡らせてしまっていたのがまずかった。全く処理ができない!困った!

先述の映画とDefiledを考える上で類似している点は、ある一人の人物の信念に基づく行動は果たして正しいのか、正義であるのかというところだ。

主人公の考えは映画では半分認められ、Defiledでは否定される。否定されるというか、理解されなかったというか。なにより映画では賛同する家族という存在があるが、戸塚演じるハリーには味方がいない。だからこそカード目録を守ることでしか自分を認められなかったのだろうか。

途中で勝村演じるブライアンが、未婚である君にとって目録を守ることが全てかもしれないが、家族ができることでその中で起こることが全てになる、そんなこと考えられない、といったことを言っていた(はず。細かい点は曖昧だが。)
ではハリーに守る相手がいたら?同じことを考えたか?家庭のために仕事を続けるために考えを変えただろうか?
神聖なものを汚された、それはどんな環境にいたところで考えは変わらないのだろうか。

……舞台を観ながらざっと思ったことだけ挙げてもこのように疑問だらけだ。

映画では子供のためと思ってやっていたことが、その子供たちの命を脅かしてしまうという体験によって考えを捨てようとする。
しかしそれは亡くなってしまった妻、つまり子供の母親との約束でもあった。そして、それを理解しようと歩み寄ってくれたのは、その考えをある意味押し付けていた子供たちだったのである。

ではハリーは?ハリーを理解することは誰かにできたのだろうか。姉に電話したり、ブライアンからの電話を待ったり、誰かと繋がりたいという欲求は感じられたのだが、どうしたらよかったのか、だけが本当にわからない。

台詞の中でちょっとユニークってなんだとか狂ってるとか出てくる度に、映画のことがちらついて少しだけ集中力が切れたので、次回は最後まで向き合うことを目標にしよう。

そもそも宗教やら地域性やら、23階の笑いでも深く理解できなかった部分がまたネックになってる。うーん、そろそろ勉強しなくては。

とりあえず映画の方で気になるところがあったので、家にある哲学関係の本を読みます。


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毎度だけど舞台については完全には理解はできないからなぁ、自分の知識や引き出しのなさ、頭の回転の悪さが主な原因です。自覚してますはい。まぁでも特に熱海のときも思ったんだけど、罪を犯す人と犯さない人、、ってね。~~という人物がいたそうな。というところから自分なりの落としどころを見つけられたらいいな。
……よく考えれば熱海ぽいっちゃ熱海ぽいような。私のなかでね。


戸塚くんは頬がこけていたから千秋楽終わったらたくさんお肉食べてね……。初日はとにかく台詞と動きを間違えずにやるぞ!って意識だけはひしひし感じたよ。怪我なく最後まで駆け抜けられますように。

たられば

ふとしたときにたられば思い出してしまって、もう1ヶ月経つのにまだ絶望できる。

新しく楽しいことを見つけたいなー。こうパァっと笑えること。

少しずつ遠くなっていけばいい。いますぐゼロにするんじゃなくて。

次は誰だ

先日からさぁて次はどうするかなって考えてるのですが。

君のために遠征するってなるまでには、個人的にはかなりの想いが必要で。

それを基準として考えると、ふぉ~ゆ~になっちゃいますよね~。次のSHOCKが辰巳越岡なら福岡も梅田も行きたいから。

夏ツアーが終わったら色々と決めるので、それまでに誰か現れたら面白いなぁ。Jじゃなくても。